ベトナム・ホーチミン生活/今年も終わり(202012-番外編)

こんにちはー。今年も終りますね~。ぼんやりと振り返りながら書いてみまーす(^-^;

<今月の出来事 番外編>

2020年も12月末となってしまいました。3年半前に早期退職をして今は何故かベトナムにいる事を不思議に思ってます、、、と書き出したところで「退職後の3年半をざっと振り返ってみよう」と思いつきました。3年半も経ったことに長かったやら短かかったやら、、、単なる自己回想なので読んで頂けることに申し訳なさを感じますが書いてみまーす。

・退職後直ぐ、TOEICの点数を上げるためにフィリピン語学留学をしました。私は「勉強せざるを得ない環境」に身を置かないと勉強なんて出来ないのでそうしました。全寮制スパルタ学校でしたが、3ヵ月間を無事に終えることが出来た時はホッとしました。終盤は中国人の学生マネージャー(仕事をする代わりに、3時間?/日の授業と寮生活費が無料)から「Diligent.(熱心)」とよく言われていましたが、その時は「何言っているんだろう?こいつは?」と意味が分からなかったですが、今思うと57歳のオヤジが若者に囲まれて毎日真面目に勉強してたので不思議に思ったのでしょう。最後のTOEICはチョット残念な675点だったため、730点を目指してその後も勉強を続けるつもりでしたが、やっぱりやってないです...(^-^;。でも、ケニアに行った時に確実に以前より英語力が上がっているのを実感しましたので留学して良かったと今でも思っています。土日は授業が無かったので自習したり、街中の喫茶店でボーとしたりしていました。休日で一番印象に残っているのは「ピアノ修理工房」を訪ねたことです。若い兄ちゃんが1人で中古ピアノを直している職場は雑然としていましたが、自分もこんな職人として生きて行く道もあったのではないかと羨ましく思いました。今の自分でも、まぁっ良いかな~と思ってはいますが、やっぱり羨ましいです...(^_^;)

・日本に帰ってからは「AM:スポーツジム」「PM:ピアノの練習」を8ヶ月ほどしていました。結果は悲しい限りですが、まぁ~、いわゆる睡眠負債も少しずつ解消することが出来たような気がしていて、これはこれで良かったと思っています。またプーコック・バンコック・プラハにも行きました。バンコックは20年振りでしたが、駐在していた頃の風景が残っており懐かしかったです。それと滞在中ずっと毎朝おなじ喫茶店の窓際席から道行く人たちを眺めていて、ホント心休まりました。特に雨の日は最高でした。プラハは街並みの調和感にいたく感動しました。また、朝の通勤通学の時間帯にトラン(路面電車)に乗ると、子供を学校まで送り届ける親御さんたちが沢山乗っていて、一緒の駅で降りて流れに任せて歩くと小学校に辿り着いたりするのを楽しんでいました。プラハは大好きなので、1年間住んでみたいなぁ~と今でも思ってます。

・ケニアにはボランティアとして行きました。正直、ボランティアもケニアもそうは好きになれなかったため結構悶々とした1年半弱でした。一番良かったことは「日本村ではない、純粋ローカルの環境下に一人」で生活したことです。これはタイ駐在でもベトナム駐在でも決して得られない経験で、今のベトナム生活も所詮は日本村だなぁ~と感じることが多く、ケニアを懐かしく思うことがあります。一番の思い出は「同僚とその同僚の家のお手伝いさんの子供たちと仲良くなった」ことです。日本に帰る数日前(2月)に少額のお金をお手伝いさんに渡しました。彼女はそのお金で子供たちに服を買ったらしいです。そしたら子どもたちは「クリスマスが2回来た」と言ってすごく喜んだらしいです。ケニアではクリスマスには、プレゼントと共に新品の服を一式買って貰うらしいですが、おそらくお手伝いさんの子どもたちは服を買って貰えなかったのでしょう。帰る前日にこの事を同僚から聞いて、思わず泣いてしまいました。いやー、ホント涙もろくなってます...(^_^;)

・日系海外工場で働こうと思い、ケニア滞在中の昨年12月末に履歴書を転職サイトに登録したところ、有難いことにベトナム支店の担当者の目にとまり、今の会社への応募を勧められました。自分の経歴でどの程度の需要があるのかが分かりませんでしたので、目に止めてくれたことを嬉しく思いました。いやいやここは謙遜をやめて正直に書きます。日系自動車メーカーは世界でも強いので、小さな部品メーカーなら私でも採ってくれる筈だと漠然とした自信がありましたので実は「やっぱり、来た!来た!」と思いました !(^^)!。すみません、偉そうで、、。日本には2月半ばに帰国し、ベトナム駐在に必要な各種書類の申請と受け取りをして、2週間後には出国しました。ちょうどコロナ前のタイミングだったので、2週間遅れていたら出国出来なかったと思われます。必要書類については、ベトナムは少し特殊で「無犯罪証明書」や「在職証明書に『公証認証が必要』」等、初めての事で戸惑いました。タイ駐在時は、人事総務が全てを用意してくれて、私はサインをするだけだったんだなぁ~と思いながら、申請の仕方をネットで調べて、色んな所に問い合わせをして各種書類を入手するのは結構面倒でした(^-^;。ほんと、色んな仕事業務があるもんだと今更ながらに思いました。ベトナムの勤め先では、当ブログでも書きましたが、赴任3週間は暇をもてあそんでいて、図面ばかり見ていて、定時帰社していまたが、4週目からいきなり非常事態下で仕事を振られ、その日から4時間残業を10日間しました。いやー、暇な時に図面を見ていたことが役に立ったので、やっぱり真面目にやることは必要だなぁ~と思いました。また、トラブルは苦痛ですが勉強になりますねぇ~(^-^;/。そんなこんなで、ベトナムに来てから10ヵ月が経ちました。おかげさまで、不満は沢山ありますが普通には生活が出来ています。また、日本にいたら60歳以降の雇用延長線上にいるだけだったでしょうが、こちらでは組織の一員として働かせてもらい、この歳になっても嫌な事やプレッシャーを一杯経験させてもらっています。良い事なのか、そうでないのか...(^_^;)

ざっとこんな感じの3年半でした。その間、飲み会含めて色々と付き合ってくれた方々の事には触れていませんが、大変感謝しています。特にケニア赴任では年齢の近い同期が二人いたおかげで助かりました。1人だったら半年持たなかったと思います。

これからですが、今しばらくはベトナムで働かせて貰おうかなぁ~と思っています。先日、縫製技術のお姉ちゃんが昼寝用の枕を縫ってくれました。床に横たわって昼寝をするのは気恥ずかしいですが、現地の人は何とも思っていないみたいで安心しました。それと、睡眠負債はほぼ解消したのか、今現在は口内炎にもならないので免疫力が上がっているのでしょう。いやー、前職在職中は疲労感や口内炎が全然治らなくて色んな薬やサプリメントを試しながら、だましだまし生活してました。原因は恐らく週刊誌の記事にあった「睡眠負債」だったのでしょう。今は歳のせいもあり疲労感がかなりありますが、口内炎からは解放されて嬉しいでーす!(^^)!。

コロナで先が見えないなか、来年はどうなることやら? みなさんもどんなでしたか今年は? そして来年は?

f:id:kozo333:20201227171706j:plain