ケニア生活/初めての悩み(201912-番外編)

こんにちはー、2019年も終わってしまいますねぇ~。来年は子年(ねずみどし)で、私もとうとう還暦なので赤い下着でも履くかなぁ~と思ってます。でも病院に担ぎ込まれたりしたら...と思うと、恥ずかしいので踏み切れません...(^^♪。ジーザス!

いずれにしても、みなさま良いお歳を (^.^)! See you again, on 3rd.1. 2020 !

<12月の出来事 番外編>

8月からブログを書いてて分かったことは「小さなことでも疑問に感じたことはずっと頭の片隅に何十年も眠っていて、ふとしたきっかけでその疑問が目を覚ます」と言うことです。エッセイを書いている人もこんな感じなのでしょうか。

私はガラクタを集めておいて何かを作るのが好きで、小さな頃から、かまぼこ板にモーターを取り付けて自動車のおもちゃとかを作ったりしていました。今でも何か買うとすぐに分解したり、ジャストサイズになるように切り貼りをしてしまいます。

幼稚園の時に「プラモデル用の電池モーター」をずっと制服のポケットに入れて宝物として持ち歩いている時期がありました。市バスに乗って通園していましたが、たまに仲間と一緒に歩いて帰ることがありました。大人でも徒歩30分は掛かるほど遠いですが、途中イチジクを失敬したりして遊びながら帰るのは楽しかったです。また、みんな共働き家庭だったので、帰る時間が多少遅れても怒られることもなく、のんびりとしていました。そんなある日、家に着いて着替えながらポケットを探ると「モーターが無い」んです。ほんとに驚いてしまって、ほうぼう探しましたが結局見つかりませんでした。これには心底無くした現実に対して悩みました。探しても見つからない現実を受け入れざるを得ないことが分かった時に考えたことは「これは夢であって、本当の自分は今眠っているに違いない」ということです。そう考えると、朝起きてから今までの時間が長すぎるので自分を納得させることが出来ず、次に辻褄を合わせるために「夢の時間は長く感じるだけだろう、やっぱりこれは夢だ」と思い込もうとしました。結局、翌朝には目が覚めてしまって「大切な宝物を無くした現実」を受け入れる以外の選択肢を無くしてしまい、ショックで一日中ボーとしていました。今考えると、どうでもよい悩みですが、当時は大ショックでした。

その後は様々な悩みと付き合いながら、今日まで何とか来ています。その幼稚園時の悩みを思い出す度に「持って生まれた自分の性格は『どこかに言い訳や逃げ場を考えて現実逃避する』」ことではないかなーと思っています。それにはメリット・デメリットがありますが、まぁ~持って生まれたものだから直らないし仕方ないなーと、それ以上は考え込むこともなく生活してきて今日に至ってます。まぁ~それで良いんでしょうね~。 (^^♪  oh my god !

<追伸>

「オーマイガッド」は私の口癖ですが、ケニア人は「ジーザス!」とよく言ってます。最近、私の口癖をからかう人が出てきたので、そんな時は「イエス・クリスト!(スワヒリ語)」と言って反抗しています。何やってんだか...。

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